世の中の構造的考察|進路を選ぶ前の君へ

大人はよく間違ったことを言う

カテゴリー:大人について

大人の言うこと

もしかしたら君は、「大人の言うことは正しいこと」だと思っているかもしれない。しかしそれは間違いだと私は思う。大人もよく間違ったことを言う。もちろん私もだ。私だけでなく、学校の先生も、塾の先生も、習い事の先生も、親戚の人も、一般的に偉いと言われる大人でも間違ったことを言うのは普通だ。

間違いの2パターン

間違いの定義は難しいが、ここでは2通りを考えて欲しい。1つ目はそもそも単純にだれがどうみても間違っていること。2つ目は一般的には間違っているとまでは言えないが、「君にとっては」間違っていることだ。

1つ目は簡単だ。明らかに良くないことや、倫理的に問題があるようなことを言う大人もいる。大人なんて子どもが大きくなっただけだから、本質的にはかわらない。そもそもそんなものだ。バカにして良い訳ではないが、信用しきっては絶対にいけない

2つ目が実はやっかいな問題だ。一般的に考えれば良さそうなことだけど、君の状況と合わせると、君にとっては良くないアドバイスの場合だ。たとえば「好き嫌いしないで、なんでも食べましょう」という言葉は一見よさそうだ。しかし食物アレルギーがある子どもが、この言葉を真に受けて、アレルギーがある食材を無理に食べたらどうなるだろうか?これは最悪の場合、命に関わることになる。これは極端な例だが、一般的によさそうなことが、どんな人にも良いとは、限らないということだ。

もう一つ例を考えよう。勉強が苦手な子どもに、「もっと勉強しなさい」と言う場合だ。これは一見悪いことには思えない。しかし人には向き不向きがあるのは、事実だ。勉強が苦手な子どもや、そもそも座って文字を読むことができない子どももいる。そのような子どもに、無理に勉強させるのは、果たしてよいことだろうか?それより運動やゲームやパソコンなど、その子にとって得意なことを好きなようにやらせてあげる方が、将来的にも生き残れる能力を身に着けやすいのではないか?私はそう思う。

地獄への道は善意で敷き詰められている

そしてこのケースで非常にやっかいなのが、アドバイスをする人は、善意でいっぱいということだ。その子のためを思って言っており、決してその子どもを、ダメにしようとは思っていない。むしろなんとか救ってあげたい気持ちでいっぱいだ。しかしその子にとっては、苦手なことを無理やりやらされ、成果も上がらず、つらいことになってしまう可能性が高い。「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉は、たしかにそうなのかもしれない。

対策

大人も間違ったことを言う。そのため、どのようなこともまず自分の頭で考えてみることが大切だ。それがたとえ間違っていても、全然かまわない。とにかく自分の頭で考えることが大切だ。考える訓練を積めば、徐々に思考は洗練されていく。はじめから上手くいかなくても当たり前だ。

考えるときのヒント

考えるときのヒントをひとつ教えよう。「何故この人は、このようなことを言うのか?」と考えてみることだ。その人の立場、その人の周囲の環境、その人の身分、その人のことを考えたうえで、言ったことを見直してみると、しっくりくることがある。

たとえば、Appleの社員が、「iPhoneは最高のスマートフォンです」と言っている場合、君はどう思うだろうか?そりゃそうだろうと、思うのではないか?まさかAndroidをすすめるわけにはいかないことは、誰にでもわかるだろう。これはわかりやすい例だが、どんな場合も、多かれ、少なかれ発言には個人の事情が絡むものだ。これをポジショントークというらしい。

私の言うことも信用してはいけない

最後に、もちろん私も大人の一人だ。私がどんなに、君のことを愛していようとも、私の言うことも、書いていることも、信用しきってはいけない。必ず自分の頭で考えてみることが、とても大切だ。

私も君のためを思って、この文章を書いている。しかしそれが君にとって有益とは限らない。場合によっては毒になることもあるだろう。私はもちろん君にとって有益であるようにという「善意」でいっぱいだが、その思考がやっかいなのは、すでに説明した通りだ。

繰り返すが、このサイトに書いていることも、私が直接君に言うことも、すべて一度自分で考えて、君が自分で判断して欲しい。それが自分の人生を生きるということだと、私は思う。

私は君を、一人の人間として敬愛し、一人の人間として君の判断を尊重する。そのような父親でありたいと、私は思う。