なぜ学校に行くのか?ということを、考えたことはあるかな?私は学校に行くことは、当たり前のことで、学生の頃は深く考えていなかった。考えるようになったのは、社会に出て仕事をするようになってからかな。「そういえばなぜ学校に行って、社会で当たり前のように働くのだろうか?」と。
『すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~』という堀江貴文氏の本を読んだときに、ふと自分の中で腑に落ちるものがあった。できれば君も読んでみるといい。君の時代にはそぐわない部分もあるかもしれないが、結構おもしろいと思う。
この本を読んだ後、私なりにも考えてみた。この本にはより過激に書いているかもしれないが、言葉を選ばなければ、国のために子どもを洗脳するためというのは、当たらずとも遠からずかもしれない。国にとって、国民は重要な資源で、資源を適正に利用するには、学校で教育して洗脳するのが都合が良いわけだ。
国が国民に求める2つのこと
国が国民に求めることは、極論すると2つだと私は考えている。それは国防と納税の2つだ。つまり戦争になれば他国と戦うこと(国防)と、平時は働いて税金を納めること(納税)、それが国が国民に求めることだ。そしてそれを実現するためには、学校で教育することがもっとも都合がよいわけだね。
今は(この記事を書いている時は)幸いにして、日本は戦争にはなっていないから、国防よりも、納税のほうが重要かもしれない。納税というのは、つまり、学校で勉強して社会のルールを身に着けて、その後社会に出て働いて、働いて得たお金の一部を税金として国に納めるということ。これはみんながやっていることだね。
学校と会社の構造はそっくり
社会に出て気づいたが、学校と会社というのは、ほとんど同じ仕組みだ。毎日決められた時間に行って、昼間は勉強や仕事をして、夕方から夜に帰る。学校や会社のルールを守らないと、先生や上司に怒られるし、勉強や仕事が、人よりうまくできれば褒められる。構造は同じだから、学校を卒業して社会にでても、すぐに違和感なく仕事ができるわけだ。
学校制度のこれから
そもそも学校の制度が今の形なってから、そんなに時間が経っていない。当然だが不備や課題もある。問題も多いのは事実だが、逆に学校を無しにして、いまのような教育水準や国のシステムを維持するのも大変そうだ。これからも手探りは続くのだと思う。ただ確実に以前の形態は少しずつ壊れていくだろう。
さいごに
学校に何故行くのか?というテーマを始めとして、学校というテーマはかなり大きいテーマで、なかなか一つの記事では扱えない。これからも色々な切り口で考えていきたいと思う。
今回、君に伝えたかったことは、「国が、国を上手に運用するために作ったシステムの一つが学校」ということだ。だから実はそんな大したものではなく、一つの国のシステムに過ぎないということだ。学校で何か上手く行かないことがあったり、悩んだりしても、そもそもそんなものだと捉えていれば、そう深刻になることもないだろう。そもそも人間が作り出したものは、そんなに大したものではない。大げさにとらえすぎないことが重要だ。