世の中の構造的考察|進路を選ぶ前の君へ

本当にやりたいことができるのはお金を持ってからなのか?

カテゴリー:仕事とキャリア

本当にやりたいことができるのはお金を持ってからなのか?

やりたいことと、生活のはざまで

君が進路を選ぶ際に、目指す目標によっては、やりたいことを追いかけるべきか迷うことがあるかもしれない。特に一般的には難しいとされる目標や、生計を立てることが一部の人にしかできない職業、または潰しがききにくい分野などでは迷うこともあると思う。大人になると、自分で生計を立てなくてはならないから、この問題に迷う人は多いと思う。

例えば君が医者や、弁護士や、会計士になりたいと思った場合、そこまで悩むことはないと思う。たしかにこれらの職業に就くには、多くの努力が必要だが、適切な努力をすれば、勝てる可能性もある。また一度資格を取得すれば、またそれほどの能力があれば、おそらく生涯生計を自力で立てられる可能性が高い。社会的な地位もあるので、周りの人も応援してくれるだろう。

しかし歌手や、プロスポーツ選手や、芸術家など、目指してもほんの一部の人しか夢を叶えられず、また生計を立てることが難しいとされる分野だったらどうだろうか?子どものときは将来の夢として目標にできるかもしれない。しかしある程度の年齢になり、いざ生活が差し迫ったときに、迷いが生じることはある意味普通だと思う。夢を目標を追いかけるべきなのか、それとも堅実に生活ができる道を探すべきなのかと。

そこまで特殊な職業でなくても、会社から独立しようと思ったときなどは、自分の目標と安定との間で揺れることはあるだろう。そんなときにはどうするのが良いのだろうか?一緒に考えていきたい。

ある研究の答えは?

これは又聞きの知識なので、参考程度にして欲しいが、1960年代のアメリカで、スラリープロトニックさんという人が行った研究を紹介してみる。この研究では学生に、「今すぐ夢を追いかけるか?」それとも、「先に安定した職業についてから夢を追いかけるか?」という質問をしたらしい。その際は、「今すぐ夢を追いかける」と答えた学生が20%、「先に安定した職業についてから夢を追いかける」と答えた学生が80%と、自由の国のイメージのアメリカでも、意外に堅実な人が多い結果だった。

その後、20年後にどうなったかの追跡調査が行われた。すると「今すぐ夢を追いかける」と答えた学生のうち、なんと約40%が大富豪になっていた。一方で「先に安定した職業についてから夢を追いかける」と答えた学生では、大富豪になれたのはたった一人で、0.08%という低い確率だった。

もちろんこれは時代背景も国も違うし、一つの研究結果なので、盲信するのは危険かもしれない。でもこの実例をみて、君はどう思うだろうか?

参考資料:【再放送】【実例紹介】「夢」をとるか「安定」をとるか、お金持ちになれるのはどっち?【人生論】:(アニメ動画)第331回

本当にやりたいことなら、追いかければいいのでは?

ここからは私の個人的な見解だが、やはりやりたことがあるのなら、好きなだけやればいいのではないかと思うのだ。本当はやりたくないことを嫌々やって生きるよりも、君がやりたいことを好きなようにやって生きるほうが、人生楽しいのではないかと。

やりたいことをやっていれば、その時点で一つ勝ちだ。そのうえで経済的にも成功すれば、大勝ちだ。しかしやりたくない事をやって、なんとか生活できたとしても、それでいいのかという思いが残るのではないか。最悪なのは、生活のために嫌々安定した道を選んだにもかかわらず、安定さえも得られないようなパターンだ。これでは一体なんのために生きているのか分からない。

好きなことをやっている人間のほうが、最終的に勝てるように思う

自分の好きなことを、自分の好きなようにやるということは、多くの場合、自分で起業するか、フリーランスのような立場になるのだと思う。サラリーマンではあまりに好き勝手なことはできないから、どこかで自分が責任をもった立場になることになる。独立するとどうしても安定性は失いやすく、いいときもあれば、思うようにいかないときもあると思う。でも自分が好きなことを突き詰めている人間は、最終的には経済的にも成功するように思うのだ。これには根拠はない。私の個人的な経験則だ。

ひとつ例を挙げてみる。たとえば服を買いに行って、服のことが心から好きな人が、熱意をもって作った服を紹介してくれた場合と、本当は他の仕事に就きたかったのに、仕方なく服を売っている人と、どちらの人に良い印象をもつだろうか?君はその仕事が好きでやっている人と、仕方なくやっている人がいた場合、どちらの人に対応してもらいたいと思うだろうか?おそらく好きでやっている人だと思う。結局熱意を持ってやっている人には敵わない。こういう人が成功するのは時間の問題だと思う。

私は君の夢、目標を応援したい

私は君がやりたいことがあるのなら、好きなようにやったら良いと思う。君の夢や目標が何であれ、応援し、見守れる父親でありたいと思う。私はそれが親としてできる、務めなのだと思う。

他の記事にもあるが、人生は思ったより短い。人間の一生はせいぜい3万日しかない。しかもその中で本当に自分が好きなように動けるのなんて、半分もないのではないか。そう思うとやりたくないことをやっている暇など、一日もないのだと思う。

私の個人的な実例

私にも振り返ると人生の帰路はいくつかあって、振り返ると自分がやりたいようにやって生きてきたと思う。いま振り返ると、よくあんなリスクを取れたなあと思うこともあるが、それが若さというものかもしれない。私は性格的に、自分が嫌なことは続けられない人間だから、自分の好き勝手生きて、それでいいことも、わるいこともあった。でもすべて自分で決断して、すべて自分の責任だと思って生きてきたから、私はそれで良かったと思っている。

蛇足だが、子どもの私にもすべて自分で選択させ、すべて自分で責任を引き受けるように教育した私の両親は立派だと思う。普通はここまでできない。子どもでも、ある意味私を子ども扱いしなかった教育は、私に強烈な責任感を芽生えさせることになった。

少し今回のテーマとはズレてしまうかもしれないが、選択という意味で、ひとつ私の実例を挙げると、私は大学に行くときに一つの転換点があった。当時の私はエスカレーター式の付属高校に通っていたので、学部を選ばなければ大学受験をせずに、世間的にはそこそこ名のしれた大学に進学できた。しかし私は自分が希望する学部に行くために、内部進学を辞退して大学受験をした。そのとき大学受験をしたのはクラスで私たった一人だった。私の学校では、自分が行きたい学部に行けなくても、進学できる学部に進学する、それが普通の流れだった。その当時の私は、完全に異端の存在だった。

私としては頑張ったが、人生はなかなかうまくいかないもので、その年は大学に受からなかった。その後、予備校に通うもなかなか自分のペースを掴めず、結局3度目の受験でやっと希望の学部に進学することができたが、同級生と比べて2年間遅れをとり、その間、社会的な所属もなく彷徨うことになった。

大学に受かるまでの間、すべて自分の決断、すべて自分の責任とはいえ、その当時はやはり辛かった。誰かに言われてやったことではないので、後悔は全く無かったが、正直生きていくこともきつかった。しかも勉強を頑張って続けても、受かる保証はどこにもない。どん底というか、光が見えない時間が2年間続いた。10代の2年間はかなり大きい。最後の方は気がおかしくなって、人相も変わっていた。あまりに思いつめているように見えたのだろう。警察官に声をかけられたこともあった。

いま振り返れば、自分の信念を突き通して良かったと思っている。当時の私には、諦めて他の学部に妥協する選択肢は、思い浮かぶことすら無かったが、万が一挑戦しなければ、一生後悔したことだろうと思う。おかげで散々苦しい目にあったが、まあそれも人生かなと。

その当時、高校3年生の頃、強烈に思っていたことがあって、それは今でも覚えている。それは、「この選択で、俺はこのあと2−3年かなり苦労するだろう。しかし後々に、かならず今の選択を正しいと思えるときが来る。だから頑張ろう。」という思いだった。いま振り返ると、その当時の苦労のお陰で、生計を立てることができているので、過去の選択は正しかったと思っている。

もちろん無理をさせたいわけではない

「私も頑張った、だから君も頑張れ!」と言いたい意図ではないということは、理解してほしい。私のラディカルな生き方を真似る必要などはない。そうではなくて、やりたいことがあるなら、君の好きなようにやったらいいのでは?と言いたいのだ。逆もしかりで、そんなに苦労してまでやりたくないことなら、やめておくのもまた選択だよと。

大切なことは、人生で、「これは!」と思うことにであったとき、これは勝負に出なければならないと本能で分かるとき、そのときは、君の気持ちに正直になって、納得がいく選択をして欲しいということだ。

参考文献:『となりの億万長者』
参考記事:人生は30000日しかない